浄土宗について

◎私たちの宗旨

 

名称

浄土宗

宗祖

法然上人 ほうねんしょうに11331212

開宗

承安5年(1175)  じょうあん5

本尊

阿弥陀仏 あみだぶつ
阿弥陀如来 あみだにょらい

教え

阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ」とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。

お経

お釈迦さまがお説きになった『無量寿経 むりょうじゅきょう』『観無量寿経 かんむりょうじゅきょう』『阿弥陀経 あみだきょう()』の三部経さんぶきょうをよりどころとします

 

◎浄土宗とは

阿弥陀如来の御名(お念仏:南無阿弥陀)を称えて、極楽浄土への往生を願う事を第一とする事から、浄土宗(じょうどしゅう)と呼ばれます。日本において、鎌倉時代に法然上人(ほうねんしょうにん)がお広めになりました。

 

◎阿弥陀如来とは

(左脇侍:観音菩薩 右脇侍:勢至菩薩)
浄土宗の信仰の対象となる阿弥陀如来の阿弥陀とは、古代インドの言葉で「無量」と訳されます。この娑婆世界にいる私たち人間は、尽きない欲望と次から次へと起こる煩悩にさいなまれて生きています。この苦悩をいささかでも脱し何かに頼ろうとして称える私たち人間を救って下さる仏様が、阿弥陀如来です。

 

◎宗祖 法然上人とは

法然上人は、浄土宗の開祖です。
長承二(1133)年、美作国(みまさかのくに・現在の岡山県)に押領使・漆間時国(うるまのときくに)の子として生まれました。

9歳の時に父を殺された法然上人は、仇をとることを堪えて、父の遺言によって出家し、比叡山に登ります。
そして、承安五(1175)年、四十三歳で「浄土宗」を開きました。

浄土宗は、"救いは念仏を称えることで得られる"という「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」の教えを中心としていました。
ただひたすらに念仏を称えることで、いつでも、どこでも、誰もが平等に阿弥陀仏に救われて、極楽浄土に往生することができる。
そうした「他力」の教えでもある浄土宗は、そのわかりやすさも手伝って、公家や武士だけでなく、経典を学び、寺院へ寄進や参詣する余裕のなかった多くの民衆にも希望を与え、日本全土に浸透しました。

一方で、浄土宗は、伝統的な仏教の強い反感も招きました。
建永2(1207)年、法然は75歳で、ついに、讃岐国に流罪となります。

赦免された法然上人は、建暦元(1211)年には京に帰りましたが、その翌年、80歳で生涯を閉じられました

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◎お念仏

お念仏とは『南無阿弥陀仏』と声に出してお称えする事でございます。お念仏をお称えする事で、どなたでも臨終の際には極楽浄土から阿弥陀如来にお迎え頂ける。これが浄土宗における最も大切な教えであり、お勤めであります。
一般的に亡き人の菩提を弔う為、供養の為にお称えするとお考えの方もいらっしゃる事と存じますが、本来は法然上人の 「生けらば念仏の功つもり、死なば浄土にまいりなん。とてもかくてもこの身には、思いわずろう事ぞなきと思いぬれば、死生ともにわずらいなし。」
そのお言葉の示す通り、生活の中でお念仏を称える事こそ、阿弥陀如来の御心にかなうわけでございます。つまり、どこまでも命ある中でお称えする事が大切なわけでございます。
誰しも自らをかえりみれば、あれもこれも欲しいという「欲深い心」、思うままにならぬと腹を立てる「いかりの心」、物事の本質をわきまえぬ「おろかな心」を始め、様々な煩悩に日々さいなまれている事に気付きます。
その至らない自分であっても、そのお念仏を称えさせて頂く事で、臨終の際には極楽にお迎え頂ける。これこそがお念仏の功徳であり、最も大切な教えなのでございます。
一遍でも多くのお念仏をお称えし、毎日を「明るく、正しく、仲よく」お過ごし頂ければと思います。
南無阿弥陀仏は「南無」「阿弥陀仏」の二つの言葉が重なって作られた言葉です。
「南無」とは、インドの古い言葉(サンスクリット語)で、「帰依する」という意味です。分かり易く言いますと、「お願い致します」という事です。そして、続いて「阿弥陀仏」 直訳しますと、「阿弥陀様、どうぞよろしくお願い致します」という事になります。